単身、日本(松山)からアメリカに渡り、コンサルタント会社を経営している後藤さん。 総合コンサル会社を経営するかたわら、老人ホームやいろんな施設などを対象にボランティア活動をされています。 取材では、「人生は自分の努力しだいで変えれることが分りました。」という言葉に感動しました。 |
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「人生は自分の努力しだいで・・・」 と語るアメリカで活躍中の伊予娘 |
「ロサンゼルスに住み、もう16年になりますねぇ・・・」と笑顔で話してくれました。 松山ではずっとブティックを経営していました。商売もそこそこ順調、松山での生活も特に不満もなく毎日を過ごしていました。 しかし、そんな生活を送っている志穂美さんに・・・突然・・。「ここにいるのは私らしくない。」そんな思いがふつふつと湧き上がってくるようになりました。 「アメリカに行こう!」「もっと他の世界が見たい。」どうしようもない感情がこみ上げてきました。そんな思いの中、アメリカ行きを決意。 思い立ったら即行動という生き方。まさに行動派です。 |
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アメリカに渡ってからの苦労話は、と水を向けても・・。「いろいろあったことは苦労だとおもっていませんが、でも過去があったから今の私が存在するのです。」と言って多くを語ってはくれませんでした。 現在は、総合貿易とコーディネート会社を経営されています。 その仕事は、雑誌の編集(レース場関係の写真集など)、アメリカの大学の単位取得に向けたコンサル、日本からの視察旅行、研修旅行などの企画と、多忙な毎日とのことです。 |
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個人旅行者向けには、ゲストハウス(プール・ジャグジー・キッチン完備)と組み合わせたのんびりツアーであり、パック旅行と一味違った旅行が楽しめます。 旅行者自ら料理をつくり地元の方々との交流も図れる、アメリカ版民宿というところでしょうか。 |
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これからの夢は、旅行事業の拡大と、ボランティア活動の推進。ボランティア活動は、現在、老人ホームやいろんな施設などを対象におこなっているそうですが、芸術医療、音楽医療、動物医療、絵画医療などのリハビリを勉強しながら、もっともっと中味を充実させていきたいそうです。 公私ともに充実した毎日を送っている後藤さんに、故郷”松山”にメッセージをいただきました。 「その日その日を大切に、目標と希望を持ち頑張ってください。常にチャレンジです。」 そして、「人生は自分の努力次第で変えれることが分かりました。」 彼女の最後の言葉が大変印象的でした。 |
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《アメリカでの変遷》 ・1987年UCLA大学のExtentionに入学(通訳の勉強をする) ・1988年Toyo Business Partner Incというヘッドハンティングの会社に入社。 ・1年半後退社し、フリーの通訳。その間1990年Yellow Corn Motor Spots Equipmentという東京のモータースポーツ関係の翻訳 ・1990年から1997年までの7年間日本にアメリカンモータースポーツの専門雑誌やレーシングコラム制作に関わる。 ・1992年Yellow Cornの社長と共に、カリフォルニアでTan Motor Sports Incを設立し、Vice Presidentとして就任。 ・1997年に退社。2年間の間、老人介護のケアーや病院関係の勉強をし、1999年にInternational Exchange Service Incを設立。 |
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2003.10.30 戻る≫ |
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