市内中心部エリアの見どころ紹介
 松山城
  海抜132mの勝山山頂部分に本丸を置く松山城は、姫路城・和歌山城と並ぶ日本三大連立式平山城として知られています。門櫓(もんやぐら)・塀を多数備え、狭間(さま)「鉄砲・弓」や石落とし、高石垣(たかいしがき)などを巧に配し、攻守の機能に優れた日本一の連立式平山城と言われています。
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 萬翠荘
 萬翠荘は城山の麓にあり、代々松山藩家老屋敷のあった所で、小説「坊っちゃん」の舞台、愛松亭のあったところです。  大正11年、松山の藩主でありました松平家第15代当主定謨氏が別邸として建築したものです。
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愚陀仏庵
 夏目漱石が松山中学に教師として赴任して、城戸屋旅館にて旅装をとき、最初に下宿したのが萬翠荘の前にありました愛松亭。そして、その後二番町の上野家の離れに下宿をしましたが、そこを自ら愚陀仏庵と名づけました。
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秋山兄弟生家跡
 この地で明治時代の偉人、秋山信三郎好古(よしふる)、淳五郎真之(さねゆき)は生まれました。好古が生まれ10年後に明治維新が起こりました。10歳違いの真之は明治維新に生まれたことになります。 松山藩は幕府側でした。いわば賊軍です。その賊軍から秋山兄弟は陸軍大将、海軍少将まで昇りつめました。 
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明教館
 ここ明教館は秋山好古のほかに子規の叔父・加藤恒忠や内藤鳴雪ら、歴史に名を残した偉人たちが卒業しています。好古は8歳の時、藩校「明教館」の小学校養成館に入学しました。その4年後に小学校ができ、ついで中学校もできました。
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松山中学跡
 夏目漱石が松山で英語の教師をしたのがこの松山中学校です。子規、秋山兄弟が学んだ学校で漱石が教師をする、そんな歴史の面白さも感じられます。藩校「明教館」も城山がよく見えるこの場所にありました。
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子規堂
 子規が幼少から17歳までを過ごした家の一部である8畳の書院を子規の菩提寺・正宗寺境内に移築・復元したものです。子規の子供時代の勉強部屋が再現され、彼が愛用した勉強机、遺品なども置かれています。また、子規堂前の広場では、現存する最古の軽便機関車の客車「坊っちゃん列車」が展示されています。
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